おいしい世羅茶を復活させています

お茶の里せら復活
昭和初期300トン余の茶を生産し関東方面に出荷していました。

現在、茶畑は見る影もなく無惨な状態で放置されています。

このままでは、世羅の茶業は完全に衰退するでしょう。

私たちは歴史ある世羅茶を絶やさず、新たな試みで蘇らせようとがんばっています。

嘗ての風景

農道沿いに広がる茶園
農道沿いに広がる茶園

昭和の終わり頃までは、このような茶園が道沿いに広がっていました。

現在は、見る影もなく消え去ってしまいました。

新着情報

大妻コタカ
大妻コタカ

大妻コタカふるさとのお茶完成

大妻コタカの郷里広島県世羅郡三川村(現世羅町)は、県の中央

(おへそ)に位置し、瀬戸内海と日本海の分水嶺です。

かつては「お茶の里 せら」として有名でしたが、お茶農家の高齢化とともに年々茶業は衰退し茶畑は荒地となってしまいました。

現在、昔の風景を取り戻そうと「世羅茶再生部会」が有機無農薬栽培にこだわり、茶畑の再生活動を進めています。

 

大妻学院創立者

 大妻コタカは、明治17(1884)年に広島県世羅郡三川村(現世羅町)に生まれました。

 山間の集落に生まれたコタカでしたが、農業と両立させながら勉学に取り組み、高等小学校へと進学。17歳で母校の代用教員となりました。

 しかし、向学の志やみ難く、明治35(1902)年に上京したコタカは、和洋裁縫女学校で洋裁を学びつつ、東京府教育会附属の小学校教員伝習所へ通うなど勉学を続け、明治40(1907)年に鎌倉尋常高等小学校の教師となりました。そして同年に大妻良馬と結婚します。

 結婚後も教育に対する情熱は冷めることなく、コタカは明治41(1908)年、24歳で私塾を開設。以来、昭和45(1970)年に85歳で亡くなるまで、その生涯を女子教育に捧げました。

 教育功労者として、昭和29(1954)年に藍綬褒章、昭和39(1964)年に女子教育者初の勲三等宝冠章を受章。さらに没後、昭和45(1970)年に従四位勲二等瑞宝章受章、平成14(2002)年には広島県世羅郡甲山町(現世羅町)から名誉町民賞が授与されています。

紅茶用茶葉の摘み取り作業
紅茶用茶葉の摘み取り作業

世羅にも乗用茶摘機到来です!

今後、乗り入れできる圃場整備が必要です。

 世羅茶再生部会の活動状況は、facebookでも紹介しています

 http://www.facebook.com/SeraCya